子どもの頃に無邪気に歌っていた「アルプス一万尺」に、実は恐ろしい意味が隠されていた?
多くの人が「小槍の上で」を「子ヤギの上で」と聞き間違え、いろんな意味で怖い印象を受けているのではないでしょうか。
しかし真相は、標高3180mの槍ヶ岳の危険な岩場で踊るという、それはそれで命がけの状況を歌っていたのです。
さらに驚くべきことに、この歌は全29番まであり、山の美しさから始まって失恋の悲しみへと変化していく物語が。
アメリカの嘲りの歌から変容した、この手遊び歌の意外な歴史と都市伝説の真相に迫ります。
アルプス一万尺とはどんな歌?
「アルプス一万尺」は、日本で広く親しまれている手遊び歌です。
元々はアメリカ民謡のメロディーを使用し、日本に渡ってきた後に登山にまつわる歌詞が付けられました。
1960年代前後に、ボーイスカウトの教育用歌「むこうのお山」の替え歌として広まったとされています。
正直、私も子どもの頃はただ楽しく手を動かして歌っていただけで、歌詞の意味など考えたこともありませんでした。

とにかく速く手を動かすことしか考えてなかったですね。
歌の冒頭「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ踊りましょ」は多くの人が知っていますが、実は「小槍」とは槍ヶ岳の山頂付近にある岩のことで、「一万尺」は約3030mを意味し、槍ヶ岳の標高とほぼ一致します。
「アルペン」はドイツ語でアルプス山脈を指します。
ということで、この歌は槍ヶ岳の山頂をモチーフにした歌だったんですね。
興味深いことに、この歌には1番以外にも歌詞があり、バージョンによって3番まで、9番まで、あるいは29番まで続くものもあります。
正直1番しか知らない方がほとんどだと思います。
長いバージョンでは、最初は山登りの風景描写から始まり、次第に失恋や孤独といった心情を歌う内容へと変化していきます。
後ほど29番までの歌詞を紹介しますが、この展開がなんだか切なくて胸に刺さるものがあります。
陽気なメロディとは裏腹に、歌詞には大人の感情が詰まっていたんですね。

そもそも子供の頃は1番しか知りませんでしたが。
他の童謡や遊び歌と同様に、地域や時代によって歌詞や手遊びの振り付けにバリエーションがあり、日本の子どもたちの間で長く愛され続けている歌のひとつです。
アルプス一万尺の歌詞は29番まである?全歌詞を紹介!
「アルプス一万尺」は1番の歌詞だけが広く知られていますが、実は全29番まであることをご存知でしょうか。
作詞者不詳のため、正しいも間違いもないのかもしれませんが、この長編歌詞は、山登りの物語を紡ぐ珍しい作品です。
それでは紹介していきます。
1:アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ 踊りましょ
2:昨日見た夢 でっかいちいさい夢だよ のみがリュックしょって 富士登山
3:岩魚釣る子に 山路を聞けば 雲のかなたを 竿で指す
4:お花畑で 昼寝をすれば 蝶々が飛んできて キスをする
5:雪渓光るよ 雷鳥いずこに エーデルヴァイス そこかしこ
6:一万尺に テントを張れば 星のランプに 手が届く
7:キャンプサイトに カッコウ鳴いて 霧の中から 朝が来る
8:染めてやりたや あの娘の袖を お花畑の 花模様
9:蝶々でさえも 二匹でいるのに なぜに僕だけ 一人ぽち
10:トントン拍子に 話が進み キスする時に 目が覚めた
11:山のこだまは 帰ってくるけど 僕のラブレター 返ってこない
12:キャンプファイヤーで センチになって 可愛いあのこの 夢を見る
13:お花畑で 昼寝をすれば 可愛いあのこの 夢を見る
14:夢で見るよじゃ ほれよが浅い ほんとに好きなら 眠られぬ
15:雲より高い この頂で お山の大将 俺一人
16:チンネの頭に ザイルをかけて パイプ吹かせば 胸が湧く
17:剣のテラスに ハンマー振れば ハーケン歌うよ 青空に
18:山は荒れても 心の中は いつも天国 夢がある
19:槍や穂高は かくれて見えぬ 見えぬあたりが 槍穂高
20:命捧げて 恋するものに 何故に冷たい 岩の肌
21:ザイル担いで 穂高の山へ 明日は男の 度胸試し
22:穂高のルンゼに ザイルを捌いて ヨーデル唄えば 雲が湧く
23:西穂に登れば 奥穂が招く まねくその手が ジャンダルム
24:槍はムコ殿 穂高はヨメご 中でリンキの 焼が岳
25:槍と穂高を 番兵において お花畑で 花を摘む
26:槍と穂高を 番兵に立てて 鹿島めがけて キジを撃つ
27:槍の頭で 小キジを撃てば 高瀬と梓と 泣き別れ
28:名残つきない 大正池 またも見返す 穂高岳
29:まめで逢いましょ また来年も 山で桜の 咲く頃に
子供のころ「隣のじっちゃん、ばっちゃん~」という替え歌が流行ってましたが、流石にそれはありませんでした。
もしかすると地域によるのかもしれませんが・・・。
最初の7番までは自然の美しさや山歩きの楽しさを歌った明るい内容が続きます。
1番の「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ踊りましょ」から始まり、テントから見える星空や朝の風景など、登山の素晴らしさを伝える歌詞が並びます。
特に印象的なのは6番の「一万尺に テントを張れば 星のランプに 手が届く」という表現です。
高山の澄んだ夜空で見る星の美しさを、まるで手が届きそうなほど近くに感じる感覚は、共感できる人も多いのではないでしょうか。
しかし8番から急に雰囲気が変わります。
「染めてやりたや あの娘の袖を」と恋心が芽生え、9番では「蝶々でさえも 二匹でいるのに なぜに僕だけ 一人ぽち」と孤独を嘆く内容へと転換。
その後も「山のこだまは 帰ってくるけど 僕のラブレター 返ってこない」など失恋の悲しみが描かれていきます。
この展開は、まるで青春小説のようですね。
それとも一人で山に登って寂しくなったのかもしれません。
山の厳しさと美しさを背景に、若者の恋と挫折が描かれていく物語性が感じられます。
手遊び歌とは思えない深みがありますね。
20番の「命捧げて 恋するものに 何故に冷たい 岩の肌」のような切ない表現もあり、陽気なメロディとは対照的な暗い内容も含まれています。

こういった表現も都市伝説として「怖い」と言われる一因かもしれません。
アルプス一万尺の原曲は?
「アルプス一万尺」の原曲は、アメリカ民謡「ヤンキー・ドゥードゥル」(Yankee Doodle)です。
この曲は1970年代ごろに生まれた歴史的な歌で、当初はイギリス軍がアメリカ植民地軍を嘲笑するために使われていました。
これは意外ですよね!
私たち日本人には馴染み深い手遊び歌が、元々は海外の軍隊の嘲りの歌だったとは。
文化や音楽がどのように国境を越えて変容していくのか、とても興味深い例だと思います。
「ヤンキー」はアメリカ人を、「ドゥードゥル」は「まぬけ」を意味し、元の歌詞は「マヌケなヤンキーが子馬に乗って町へ行った 帽子にハネを一本さすだけでイタリア仕込の洒落男気取り」といった内容でした。
侮辱的な意図で作られた歌でしたが、皮肉なことにアメリカ人自身がこの陽気なメロディーを気に入り、反英的な替え歌として広く歌われるようになりました。

歴史の皮肉とはこういうものですね。
相手を貶めるために作られた歌が、逆に愛国歌として愛されるなんて・・・。
このメロディーは19世紀後半から20世紀初頭に日本に伝わり、様々な日本語の歌詞が付けられました。
「アルプス一万尺」の歌詞が定着したのは1960年代頃で、ボーイスカウト向けの「むこうのお山」という曲の影響を受けて、登山愛好家たちによって歌声喫茶などで広められたと言われています。
日本の歌声喫茶文化というのも今ではあまり見られなくなりましたが、こうした文化の中で歌が育まれ、やがて子どもたちの手遊び歌へと形を変えていったのは素晴らしいことだと思います。
このように、嘲りの歌から愛国歌へ、そして日本では子どもの手遊び歌へと姿を変えた興味深い歴史を持つ曲なのです。
音楽には国境も時代も超える力があるんですね。
アルプス一万尺の1番の歌詞が怖い?
「アルプス一万尺」の1番の歌詞がなぜ「怖い」と言われるのか、不思議に思ったことはありませんか?
実は、この印象は主に二つの理由から生まれています。
一つは単純な聞き間違い、もう一つは歌詞の内容を現実的に考えた時の危険性です。
童謡や手遊び歌には、このように大人になって考えると不思議な内容のものが少なくありません。
「小槍」を「子ヤギ」と聞き間違えている
「アルプス一万尺 小槍の上で」の部分を、多くの人が「子ヤギの上で」と聞き間違えています。
この誤解は非常に一般的で、小さな子ヤギの上で踊るという残酷なイメージが「怖い」という印象につながっています。
「小槍(こやり)」と「子ヤギ」は発音が似ているうえ、「アルプス」という言葉から「アルプスの少女ハイジ」を連想し、ヤギを結びつけてしまう人も多いでしょう。
特に子どもの頃は意味を理解せずに歌うため、大人になって「実は子ヤギの上で踊る残酷な歌だったのか」と誤解する人が後を絶ちません。
私も子どもの頃は「子ヤギの上で」と思い込んでいた一人です。
今考えるとおかしな話ですが、子どもの頃は意味も気にせずに歌っていました。

そもそも「アルプス一万尺」や「アルペン踊り」も分からなかったので、特段気にはしてなかったのかもしれません。
実際には「小槍」は槍ヶ岳の山頂付近にある岩の名称です。
槍ヶ岳の頂上は「大槍」で、西側に「小槍」「孫槍」「曽孫槍」などの岩があります。
これらはすべて登山用語であり、動物虐待とは無関係なのです。
この聞き間違いは「かごめかごめ」の「籠の中の鳥は」を「籠の中の鳥は いついつ死んだ」と誤解するケースや、「通りゃんせ」の歌詞を死後の世界への通過儀礼と解釈する現象に似ています。
実際に再現しようとすると普通に怖い
聞き間違いがなくても、「小槍の上でアルペン踊りを踊る」という行為自体が非常に危険で怖いものです。
小槍は槍ヶ岳の山頂付近にある突き出た岩で、その頂上部分は2~3人しか立てない狭いスペースです。
山岳写真を見たことがある人なら想像できると思いますが、槍ヶ岳の山頂付近は文字通り「槍」のように尖った岩が天に向かって突き出しています。
その狭い場所で踊るなんて、考えただけでも背筋が凍りますよね。
標高約3180mの高さにある小さな岩の上で踊るということは、落下すれば命を落とす極めて危険な行為を意味します。
実際に小槍に登るには高度なロッククライミングの技術が必要で、一般の登山客には不可能とされています。
さらに「アルペン踊り」という正体不明の踊りも不気味さを増しますね。
アルペンはドイツ語でアルプス山脈を意味しますが、アルペン踊りという特定の踊りは存在せず、想像上の踊りとなります。
曲調と名前からは陽気な踊りを想像しますが、踊る場所を考えるとそうは思えなくなりますね。
狭い岩の上で踊れば簡単に転落する危険があり、そのような場所で「さぁ踊りましょ」と誘うのは、死への誘いとも解釈できてしまいます。
これって、よく考えると都市伝説にある「青い部屋」や「口裂け女」のような「不可能な条件を出して人を危険に誘う」パターンに似ていますよね。
「アオイヘヤニイキマショウ」という誘いに似た、「アルペンおどりをさあおどりましょ」という誘い文句。
単なる偶然ですが、妙に不気味さが重なります。
子どもの頃に無邪気に歌っていた歌の歌詞が、大人になって知識が増えると不気味に感じられる現象は珍しくありません。
今回紹介した「アルプス一万尺」については、実際にはそこまで深い意味はないと思いますが、結果的にスリルのある歌詞になってしまったと考えられます。
まとめ
「アルプス一万尺」は、アメリカ民謡「ヤンキー・ドゥードゥル」をルーツに持つ日本の手遊び歌です。
嘲りの歌だった原曲が、日本では子どもたちに愛される手遊び歌へと変化した歴史が興味深いポイントです。
実は1番だけでなく全29番まであり、山の美しさから始まり、次第に失恋や孤独を歌う内容へと展開していく奥深さがあります。
「怖い」と言われる理由は主に二つあり、「小槍」を「子ヤギ」と聞き間違える誤解と、実際に槍ヶ岳の岩の上で踊るという危険な行為を歌詞が描写している点です。
多くの童謡がそうであるように、大人になって改めて考えると不思議な印象を受ける典型例と言えるでしょう。
子どもの頃は無邪気に歌っていたこの歌が、大人の視点で見ると全く違う意味を持つことに驚かされます。
信じるか信じないかはあなた次第ですが、こうした文化の変容や解釈の多様性を知ることで、馴染みのある歌への理解が深まるのではないでしょうか。
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