皆さんはMLB(メジャーリーグベースボール)に「バンビーノの呪い」が存在していたことをご存知でしょうか。
1920年に呪いがかかって以降、なんとボストン・レッドソックスは86年もの間ワールドシリーズで優勝することができませんでした。
果たしてこの暗黒時代は本当に呪いの影響があったのでしょうか。
今回は、ボストン・レッドソックスにかかったとされる「バンビーノの呪い」について解説していきます。
是非最後までお付き合い頂けると幸いです。
バンビーノの呪いとは?
「バンビーノの呪い」とは、MLBチームのボストン・レッドソックスにまつわる有名なジンクスです。
1918年、レッドソックスはワールドシリーズを制覇し、黄金期を築き上げていました。
しかし、その輝かしい時代は長くは続きませんでした。
1920年、レッドソックスは後に「野球の神様」と呼ばれることになるベーブ・ルースを、なんとライバルチームのニューヨーク・ヤンキースに放出してしまうのです。
この放出劇こそが、「バンビーノの呪い」の始まりとされています。

「バンビーノ」とは、ベーブ・ルースの愛称。
当時のレッドソックスオーナーは、金銭的な問題から泣く泣く彼を手放す決断をしたと言われていますが、これが結果的に、チームを長い暗黒時代へと突き落とすことになりました。

ベーブ・ルースと言えばヤンキースのイメージが強いですが、元々はレッドソックスに所属していたんですね。
そして、投手として活躍していたのは主にレッドソックスにいた頃だったようです。
ベーブ・ルースの成績は?
ベーブ・ルースはレッドソックス時代、主に投手として活躍していました。
1919年には9勝を挙げ、打者としても29本塁打を放ち、初のホームラン王に輝いています。
打者としてキャリアハイの成績を叩き出したことで、年俸の折り合いがつかなくなり、ヤンキースに移籍することになったようです。
すると、彼は打者としての才能をさらに開花させ、12回のホームラン王を獲得するなど、MLBの歴史に燦然と輝く記録を打ち立てていくのです。
実はこの時代は現代ほどホームランの数は出ておらず、全体の4分の1をベーブ・ルースが放った年もあるくらいでした。
この結果から、もしかすると野球のスタイル自体が現代と違っていたのかもしれません。
現代野球ではフライボール革命やフルスイングなどホームランに魅了されるスタイルも確立されていますが、この時代ではスモールベースボールが一般的だった可能性もあるのではないかと思います。
だとすれば、ベーブ・ルースは野球のスタイル自体にも影響を与えていたのかもしれません。

現在、メジャーリーガーの大谷翔平選手がベーブ・ルース以来の二刀流として歴史的な記録を打ち立ています。
今やメジャーリーグのトップ選手となった大谷翔平選手の今後の更なる活躍が楽しみですね。
バンビーノの呪いの影響は?
移籍後のベーブ・ルースの成績を見ても分かるとおり、当然の如くヤンキースは何度もワールドシリーズを制することになります。
一方でレッドソックスは1918年にワールドシリーズを制覇して以来、実に86年もの間、優勝から遠ざかってしまいました。
1918年は大正7年で、日本では米騒動が起こったとされる年です。
一方で2004年は平成16年で、イチロー選手がMLBで最多安打記録を更新する262安打を放った年です。
この情報を見ても分かるとおり、86年も経つと時代はかなり変わっています。

これだけの期間優勝から遠ざかると、個人的にはファンを続けられる自信はないかもしれません。
また、この期間にはいくつかの不運もあり、まるで「呪い」によって引き起こされたかのように語られるようになりました。
その一部をご紹介します。
1946年のセントルイス・カージナルスとのワールドシリーズ
この年、レッドソックスはセントルイス・カージナルスと対決し、最終第7戦にまでもつれ込む死闘を繰り広げました。
しかし、その試合でカージナルスのエンリコ・“エンカーレ”・ピアーリの逆転スリーベースによって流れが変わり、惜しくも敗退。
その後、選手たちが泣き崩れるシーンはファンの心に深く刻まれました。
スポーツには流れが大きく影響し、一気に試合の勝敗が決まってしまうことはよくあることですが、呪いという形で語られることで、流れが相手に行ってしまったのかもしれません。
また、久しぶりに訪れた千載一遇のチャンスだっただけに、惜しくも栄光を掴みきれなかったショックは、選手もファンもかなり大きかったはずです。
1975年のシンシナティ・レッズとのワールドシリーズ
このシリーズもゲーム最終第7戦までもつれ、シンシナティ・レッズとの戦いは非常に接戦となりました。
6試合目のカールトン・フィスクの伝説的なウォークオフホームランは最も記憶に残るシーンの一つですが、最終戦での痛恨の敗北にファンは落胆。
フィスクがホームランを放ったときは「呪い」など存在しないかのような瞬間でしたが、最終的に夢が破れたことで呪いの話は続くことに・・・。
1946年に続いて、このときも最終戦までもつれ込んだだけに、負けたショックは計り知れないものがあったと思います。
また、この状況は 「やっぱり今回も勝てなかった」という負の連鎖に陥った可能性も秘めており、にわかに呪いが本当なのではと感じていた人も少なからずいたのではないかと想像します。
1986年のニューヨーク・メッツとのワールドシリーズ
この年メッツとのシリーズでは、第6戦に事件が起こります。
あとアウト一つで優勝という場面でセカンドを守っていたビル・バックナーがエラーをしてしまいます。
彼のミスによって失点を喫し。逆転負け。
結局、第7戦も敗れてまたしても最終戦での敗退となってしまいました。
3度目の正直とはならず、「2度あることは3度ある」という結果となってしまいました。

優勝を確信したファンも多かっただけに、より一層呪いの影響を感じてしまいますね。
ですがこれらの出来事は、単なるプレーの一つに過ぎず、野球ではよくある出来事です。
9回2アウトからでも逆転劇が起こせる可能性があるのが野球。
ましてやワールドシリーズ制覇が掛かった大舞台で、プレッシャーがかかるのは言うまでもありません。
エラーをしてしまった選手は、相当な責任を感じていたのは容易に想像できますし、気持ちを考えるいたたまれない思いになります。
いっそのこと呪いのせいであって欲しいと願うばかりです。
ですが、どんなに優れたチーム、選手であっても、毎回勝つことは出来ず、それがスポーツの醍醐味でもあります。

とは言っても元々強豪チームと言われていただけに、ファンにとって86年は長すぎますね。
生涯でレッドソックスのワールドシリーズ制覇を見れなかった人も多くいたことでしょう。
バンビーノの呪いからの解放
長年、ワールドシリーズ制覇を逃していましたが、2004年にレッドソックスがついにワールドシリーズを制覇。
86年の長い呪いは解け、多くのファンに祝福されて、レッドソックスの歴史的にも大きな勝利となりました。
長年優勝できなかったファンにとっては、優勝できない理由を探したくなるのが人間心理だと思います。
そんなファンの想いと、ベーブ・ルースの移籍後の大活躍が重なって生まれたジンクスだけに、物語の深みを感じてしまいます。
レッドソックスとヤンキースの因縁
レッドソックスとヤンキースと言えば同じ地区で、常に優勝争いをしているイメージが強いですね。
この2チームの対戦は単なるライバル関係を超え、歴史的な因縁が絡み合っているのです。
歴史を遡ると今からは想像できない過去が明らかになります。
ニューヨーク・ヤンキースと言えばメジャーリーグで最も有名な球団の一つです。
そんなヤンキースですが、実はベーブ・ルースが移籍してくる以前は弱小チームだったのです。
ヤンキースと言えば松井秀喜さん、イチローさん、田中将大選手が在籍していたことでも有名ですが、多くの方が弱小チームであったことを知らないのではないでしょうか。
1901年に設立され、1913年からニューヨーク・ヤンキースというチーム名になりましたが、実はベーブ・ルースが移籍してくる1920年までは一度も優勝したことがありませんでした。
そんな中、ベーブ・ルースが移籍した翌年の1921年に初の優勝を飾ってからは、一気に常勝軍団へと駆け上がり、一躍人気チームとなったのです。
こうなるとベーブ・ルースがヤンキースを強く、有名にしたと言っても過言ではないですね。
実はこの時期に、ヤンキースのオーナーは選手に積極的に投資をして、チームを強化していましたが、一方でレッドソックスのオーナーはブロードウェイに投資をしたことで金銭不足となり、ベーブ・ルース以外にも多くの選手をヤンキースに輩出していたのです。
奇しくもこの2チームは投資先の違いで大きく明暗を分けたということになります。
バンビーノの呪いが溶けて以降、レッドソックスは強豪チームとなり、直近20年間で4度のワールドシリーズ制覇を果たしています。
そして今も尚両チームのライバル関係は続いており、この2チームの戦いは特別な試合となっています。
この2チームに関しては、ベーブ・ルースの一件以降、切っても切れない縁を感じますが、私が一番印象に残っているのがA・ロッドことアレックス・ロドリゲス選手の移籍騒動です。
当時レンジャースに所属していたA・ロッドはレッドソックスにトレード移籍することがほぼ確実視されていたが、MLBの選手会がこれを認めず、結果的にはレッドソックスの宿敵ヤンキースへの移籍が決定しました。
そして奇しくもこの年にワールドシリーズを制覇したのがA・ロッドの獲得に失敗したレッドソックスで、バンビーノの呪いを呪いを解いた2004年だったのです。
この移籍騒動があったからこそ、ヤンキースに対する強い対抗心が生まれて、結果的にバンビーノの呪いを解く原動力になったのかもしれません。
MLBにまつわるその他の呪い
MLBには「ブラックソックスの呪い」以外にも有名な呪いが存在します。
山羊の呪い
ペットの山羊を連れてワールドシリーズ観戦に訪れた男性が、入場を断られたことに腹を立て、「カブスは二度とワールドシリーズで勝てない」と言い放ったことで、そこから71年間もワールドシリーズ制覇を果たせなかったため、山羊の呪いと言われています。
山羊の呪いについてはこちらの記事で解説しております。

ブラックソックスの呪い
ワールドシリーズでの八百長事件で「ブラックソックス」と揶揄されたシカゴ・ホワイトソックス。
そこから88年間もワールドシリーズ制覇を果たせなかったため、ブラックソックスの呪いと言われています。
ブラックソックスの呪いについてはこちらの記事で解説しております。

まとめ
バンビーノの呪いは、ベーブ・ルースの放出から始まった86年間におよぶレッドソックスの苦難の歴史を象徴するエピソードです。
1918年のワールドシリーズ制覇以降、レッドソックスは幾度となく優勝の機会を逃し、まるで「呪い」に阻まれているかのように感じられました。
1946年、1975年、1986年のワールドシリーズでは、悲劇的な敗北を喫し、ファンの心に深い傷を残しました。
2004年、レッドソックスはついに86年ぶりにワールドシリーズを制覇し、「バンビーノの呪い」から解放されました。
この勝利は、長年の苦難を乗り越えた末の歴史的瞬間であり、ファンにとって感動的な出来事でした。
レッドソックスはその後も強豪チームとして君臨し、ヤンキースとのライバル関係は現在も続いています。
「バンビーノの呪い」は、野球の歴史に深く刻まれた伝説的なエピソードであり、スポーツの持つドラマを象徴する物語として、今後も語り継がれていくことでしょう。
今回は以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメント