千と千尋の神隠しは2001年公開のスタジオジブリ作品で、現在は劇場版「鬼滅の刃」無限列車編に抜かれて2位となっていますが、当時、興行収入360億円の日本歴代第1位を記録した大人気の作品です。
独創的な世界観と、異世界での少女の成長を通して生きることの素晴らしさを教えてくれる作品で、日本のみならず、世界中から賞賛されています。
そんな「千と千尋の神隠し」に登場するハクが、千尋の兄であるという都市伝説が存在します。
ネット上では賛否両論でさまざまな意見が上がっておりますが、公式は否定しているのか、嘘の可能性はあるのかについて解説していきます。
まずはハクの正体についてご説明していきますね。
「千と千尋の神隠し」ハクの正体は?
ハクの本当の名前は「ニギハヤミコハクヌシ」。

この名前を聞いただけでも、何か神秘的なものを感じますね。
実はこの名前、日本神話に登場する「饒速日命(にぎはやひのみこと)」という神様から来ていると言われています。
名前の由来が神話にまで遡るなんて、さすがジブリ!細部までこだわりを感じますね。
そしてハクは、千尋が幼い頃に琥珀川で溺れた際に助けてくれた川の神様でもあります。
つまり、千尋にとっては命の恩人なんです。
このエピソードを知ったとき、運命的なつながりを強く感じました。
そんな川の神様であったハクは、魔法を教わるために湯婆婆に弟子入り。
なぜ魔法を教わりたかったかということは触れられておりませんが、ハクが居た琥珀川が埋め立てられてしまったため、そのことが関係しているのではないかと言われています。
大切な住処を奪われ、行き場を失ったハクが、魔法の力を求めて湯婆婆のもとへ行ったのかもしれません。
でも、湯婆婆との契約で名前を奪われてしまい、「ハク」という名で呼ばれることに。

契約については千尋が「千」になったのと同じですね。
ハクがどうやって油屋に来たかはわかっていませんが、元々神様だったと考えると、客として油屋に出入りしていたのかもしれません。
また、ハクは人間の姿と龍の姿を使い分けることができます。
人間の姿では平安貴族を思わせる装束をまとい、クールで計り知れない美少年ですが、龍の姿になった途端、その迫力に圧倒されます。
龍として空を自由に舞う姿を見たときの高揚感は、何度観てもカッコイイです。
龍の姿で空を舞う姿は、人間の姿のハクからは想像できないほど壮大で、カッコイイですよね。
服装が割と印象的ですが、千やリンが着ている服装と比べるとやはり位が高そうな感じがしますね。
ちなみにハクが着ている服が陰陽師の服に似ていると思ったのですが、陰陽師が着ているのは「狩衣(かりぎぬ)」というもので、ハクが着ているのは水干(すいかん)と呼ばれる平安時代の衣装なんです。
年齢は12歳くらいと推察されていますが、言動もしっかりしているせいか、なんだか大人びて見えますね。
油屋の従業員からは「ハク様」と呼ばれていて、湯婆婆に続く実質No.2的な存在。
実質No.2とは言うものの、湯婆婆には逆らえない立場です。
そんなハクは、千尋を守ろうと何度も助けていることから、千尋の兄ではないかと噂されています。
「千と千尋の神隠し」ハクが兄であるという説を公式は否定している?
ファンの間ではハクは千尋の兄であるという説が広がっていますが、スタジオジブリ公式は否定しているのでしょうか。
ネット上でいろいろと調べてみましたが、スタジオジブリは肯定も否定もしていませんでした。
例えば「となりのトトロ」のトトロが死神説などは公式で否定のコメントが出ています。
スタジオジブリとしても、たくさんの人気作品を出している中で、その人気故にたくさんの都市伝説が存在するため、すべてを一つ一つ回答するのは難しいですね。
あまりにも作品のイメージに関わる内容の場合はコメントするかもしれませんが、あまり影響しない内容であれば観る人の自由と考えているのかもしれません。
その観点から言うと、ハクが千尋の兄であれ、赤の他人であれ、そこまで作品のイメージを変えるほどのインパクトは無さそうです。
公式で肯定も否定もされていないことがわかりましたが、ではなぜハクが千尋の兄だと言われているのでしょうか。
その根拠は4つありますので、順番に解説していきます。
兄である根拠①川で溺れた千尋を助けた
ハクが兄であるという根拠の一つに千尋が川に溺れた時の回想シーンがあげられています。
川で遊んでいて溺れていく千尋は肩も出ており服を着ている様子がありませんでした。
一方で、水面上から伸びてきた手は、袖のある服を着ている様が描かれており、助けた人がいることになります。
そしてこの助けた人物こそ兄であり、千尋を浅瀬まで運んだ代償に命を落としてしまい、そのまま川の神になったとのこと。

確かに油屋で働いているハクであれば、命に代えてでも妹を守りそうですよね。
油屋でのハクは人間の姿にもなれますが、千尋が溺れたのは人間の世界。
いくら神と言えども、川の神が人間の姿になるのは難しいのかもしれません。
兄である根拠②母親が千尋に冷たい
2つ目の根拠が母親が千尋に対して冷たい対応をとっているということ。
話しているときもあまり目を合わせず、話し方からしても、温かくて包容力のある母親感が出ていません。
ジブリ作品といえば割と優しいお母さんのイメージが強いですよね。
ですが千尋の母親は真逆の印象を受けるため、過去に何かあったのでは、と考察されています。
それが①の根拠で挙げた千尋の身代わりになった兄の存在です。
千尋が原因で兄が亡くなってしまったため、千尋に対して冷たい対応になっているのでは・・・。
もしくは息子を亡くしたショックから感情が無くなってしまった可能性もあるかもしれません。
兄である根拠③千尋とハクの絆
映画の中で、ハクは何度も千尋のことを助け、守っています。
川に溺れた千尋を一度助けたことがあるといえども、油屋に足を踏み入れたばかりの千尋に対して、危険を侵してまで助けられるのはなぜでしょうか。
ハクにとって千尋が大切な存在であると考えるのが妥当です。
逆に大けがを負ったハクを千尋が助けようとするシーンがあります。
あのシーンからは何とかしたいという千尋の強い想いが溢れ出ており、千尋とハクの絆を感じました。
特に印象的だったのが、片道切符の電車。
帰りの便はなく、帰ってくることはできないと言われたのに、迷うこと無くハクを助ける道を選んだ千尋。
余程の絆が無ければできないことですよね。

余談ですが、電車に乗っていた黒い影の乗客たちは何だったんでしょうか。
カオナシの胴体も同様ですが、全身が透けていたため、この世に存在しない人なのかもしれません。
もしかすると千尋が川の名前を思い出せたのも、ハク(兄)との絆があったからこそなのかもしれません。
兄である根拠④釜爺のセリフ
最後の一つが釜爺が言った「分からんか、愛だ、愛」というセリフ。
これはハクが銭婆から盗んだ印鑑を千尋が返しに行こうとする場面で、状況が掴めていない千尋の同僚リンに向けて言った言葉。
一部始終を見ていた釜爺が、千尋のハクに対する愛を感じたということです。
この「愛」が兄妹愛のことを指しているのではないかといった意見です。
釜爺は決して2人の関係性を深く知っている訳ではないと思うが、ジブリに出てくる人生経験豊富なキャラは、何となく全てを感じ取っているのではと思ってしまいます。
もしかすると釜爺も何かを感じ取っていたのかも・・・。
「千と千尋の神隠し」ハクが兄というのは嘘?
ここまでハクが兄であるという根拠を説明してきましたが、否定的な意見も多くでています。
この説が嘘である可能性についても見ていきましょう。
①川で溺れた千尋を助けた
千尋が川で溺れた映像が流れた回想シーンはあくまでもイメージの世界。
その証拠に、溺れたのは記憶もないほど幼い頃のはずが、溺れた千尋の顔はまさに油屋で働いている10歳の千尋そのもの。
また、溺れた千尋の前に白龍の髪のような白い毛が見えています。
これが龍の姿のハクだとすると、このときからすでに川の神であるため、溺れた兄が川の神になったという話しは辻褄が合わなくなります。
見方はいろいろあると思いますが、服を着た人のシーンだけでハクが千尋の兄であるというのはちょっと強引ではないでしょうか。
②母親が千尋に冷たい
「千と千尋の神隠し」は、ジブリ作品に子ども向けのものが少ないといった観点から、子どもにも楽しんでもらえる作品を作ったと言われています。
そのため、「リアルな母親」が描かれているといった意見が多くあがっているようです。

映画を観る子どもとしては、リアルな母親像のほうがより作品に入り込めそう。
確かにジブリ作品にしてはちょっとドライな感じを受けますね。
トンネルに向かうのを怖がって行きたくないと駄々をこねる千尋に対して 「千尋は車の中で待ってなさい」と突き放す辺りは特にそう感じます。
ですが、話している内容を見ていっても、嫌っているという感じは受けませんでした。
そして、もし本当に兄を亡くしていたとしても、我が子を思う気持ちは一緒で、千尋に対しても愛情が無くなるとは思えません。
もし母親がそんな態度をとっていたら、妹を救って命を落とした兄が報われませんね。
以上のことから、母親が冷たいからといって、実はハクが兄だという可能性は極めて低いです。
③千尋とハクの絆
映画で描かれている千尋とハクの絆については、確かに見た人の多くが感じたことで、特に否定することもありません。
ですが、ハクは川で溺れた千尋のことを覚えていて、ただただ親近感から助けていたという可能性も大いに考えられます。
絆があるから兄妹ということは断定できませんし、あらゆる可能性があると思います。
④釜爺のセリフ
釜爺の言った「分からんか、愛だ、愛」というセリフだけでは兄妹愛とは断定できません。
ハクは男、千尋は女であるため、恋心からくる愛と解釈するのが一般的かと思います。
勿論、これも可能性の一つに過ぎず、釜爺がどんな愛をイメージして話したかはわかりません。
ですが、どんな形であれ、相手のことを想って、相手のために危険を侵してでも起こした行動に変わりはありません。
ただただ釜爺は、本気で人を助けようとする少女の姿に感動していたのではないでしょうか。
「千と千尋の神隠し」ハク兄説のまとめ
ハクが千尋の兄であるという都市伝説について解説してきました。
この説について、結論から言うと嘘の都市伝説となります。
根拠を4つあげましたが、川で溺れた千尋を助けた兄が命を落とし、その後に川の神になったというのが大前提となります。
なぜなら元々ハクが川の神であったとするならば、千尋の兄ということはあり得ないからです。
そして、ハクが川の神であったことは公式でもコメントされています。
となると、千尋が溺れた時にハクはすでに川の神だったかどうかが論点となりますが、その点は銭婆の家からの帰り道にハク本人が語っています。
自分の本当の名前を思い出したハクは「私も思い出した、千尋が私の中に落ちたときのこと、靴を拾おうとしたんだね」と言っています。
ハクは私の中に落ちたと言っており、このセリフこそがすでに川の神であったことを物語っていますね。
また、銭婆は千尋に対して「ボーイフレンドの龍」と言っていて、魔法使いである銭婆には2人の関係性がわかっていたのかもしれません。
今回は「千と千尋の神隠し」ハクは千尋に兄であるという説について解説してきましたが、如何だったでしょうか。
都市伝説について考察することで、改めて作品と向き合うきっかけとなり、作品の素晴らしさや、知らなかった細かい設定についても知ることが出来ますね。

最後まで読んで頂きありがとうございました!
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